佐久間象山砲術塾跡

「佐久間象山砲術塾跡」は、江戸時代に活躍した兵学者・朱子学者・思想家・松代藩士である佐久間象山が開塾した西洋砲術塾の跡地であり、史跡として現在も残っています。象山は、信濃国松代藩下屋敷に西洋砲術塾を開き、江戸でも佐藤一斎に朱子学を学びました。また、海外事情の調査や海防問題にも取り組み、江川太郎左衛門(英龍・坦庵)に入門して西洋砲術を学びました。象山は、当地で勝海舟を含む諸藩の藩士らにも西洋砲術を教え、信濃松代に戻った後は、江戸の木挽町に砲術塾を開き、吉田松陰・坂本龍馬・加藤弘之らが入門しました。しかし、ペリー来航で吉田松陰による密航未遂事件に連座して松代に幽閉されるなど、波乱に満ちた人生を送りました。
【公式サイト】http://www.city.koto.lg.jp/103020/bunkasports/bunka/bunkazaisiseki/shiseki/16007.html
【住所】東京都江東区永代1丁目15-2

三井本館

東京都中央区にある三井本館は、史跡として知られています。建物はトローブリッジ・アンド・リヴィングストン社(米国)とワイスコッフ・アンド・ピックワース社によって設計され、1929年に竣工しました。かつては三井財閥の本拠地であり、現在は三井不動産が所有しています。越後屋の跡地に建てられたこの建物は、團琢磨暗殺事件(血盟団事件)の現場にもなった歴史的な建築物です。旧三井本館は1902年に竣工しましたが、1923年の関東大震災で被災しました。また、1945年から2年間は連合国軍最高司令官総司令部に一部が接収されていました。
【公式サイト】https://www.mitsuipr.com/sights/historic-places/06/
【住所】東京都中央区日本橋室町2丁目1-1

西郷隆盛屋敷跡

東京都中央区にある「西郷隆盛屋敷跡」は、明治維新の元勲である西郷隆盛の屋敷跡であり、史跡として知られています。明治時代には約15名の書生が住み、下男を7人雇い、猟犬を数頭飼っていたとされています。西郷隆盛は維新後、鹿児島にいたが、1871年に新政府から請われて上京し、参議に就任。留守政府首班として学制・徴兵制度・地租改正などの重要政策を実現しました。また、1873年には朝鮮との国交問題が緊迫し、征韓論が高まる中、西郷は自らが朝鮮に渡って交渉にあたり、問題の解決に尽力しました。
【公式サイト】https://www.city.chuo.lg.jp/bunka/shisetsu/kankoujouhou_center.html
【住所】東京都中央区日本橋人形町1丁目6-3

電燈供給発祥の地

「電燈供給発祥の地」は、東京都中央区日本橋茅場町にある史跡です。1887年に東京電力によって建設された日本初の火力発電所であり、周辺地域の電燈供給を開始しました。発電設備は直立汽缶と横置汽機を据付け、25キロワットのエジソン式直流発電機1台を運転しており、配電方式は電圧210ボルト直流三線式でした。工部大学校の講堂において、日本で初めての電灯が点灯してから9年後に建設されたこの発電所は、日本における配電線による最初の電燈供給の起源となりました。
【公式サイト】http://www.chuo-kanko.or.jp/
【住所】東京都中央区日本橋茅場町1丁目3-10

堀部安兵衛武庸の碑

「堀部安兵衛武庸の碑」は、東京都中央区八丁堀にある史跡です。江戸時代に活躍した武士で、赤穂浪士四十七士の一人である安兵衛の功績をたたえたものです。安兵衛は、越後国新発田藩溝口家家臣の中山弥次右衛門の長男として生まれ、天性の剣術の才を発揮し、堀内正春の道場で免許皆伝を取得しました。また、菅野六郎左衛門が高田馬場での果し合いの際、武庸は助太刀として相手方を斬ったことでも知られています。堀部安兵衛武庸の碑は、そのような安兵衛の生涯を紹介するものであり、歴史に興味のある方にはおすすめのスポットです。
【住所】東京都中央区八丁堀1丁目14-7

渋沢栄一宅跡

東京都江東区永代2丁目にある「渋沢栄一宅跡」は、アウトドアと史跡のスポットです。日本資本主義の父と呼ばれる渋沢栄一が1876年から1888年まで住んでいた本邸跡であり、その後は深川邸として利用されました。また、1897年には渋沢倉庫部(澁澤倉庫株式会社)が設立された場所でもあります。周辺には公園もあり、散策にも最適です。
【公式サイト】http://www.city.koto.lg.jp/103020/bunkasports/bunka/bunkazaisiseki/shiseki/16015.html
【住所】東京都江東区永代2丁目37

蛎殻銀座跡碑

「蛎殻銀座跡碑」は、江戸時代に銀座が移転し、不正行為が発覚した後、蛎殻町に移転した歴史的な場所です。ここでは南鐐二朱銀鋳造が再開され、幕府による統制が強化されました。また、御用達町人による請負事業から事実上幕府の直轄事業となりました。江戸時代の貨幣鋳造の歴史を知ることができます。
【住所】東京都中央区日本橋人形町1丁目17-8

鎧の渡し跡

「鎧の渡し跡」は、東京都中央区日本橋兜町にある史跡です。江戸時代には鎧の渡し場として利用され、1872年には鎧橋が架けられて渡しは衰退しました。平安時代には源頼義がここで暴風逆浪に遭い、鎧を海中に投げ入れて竜神に祈りを捧げ、無事に渡ることができたという伝説があり、以来ここを鎧が淵と呼んでいます。また、平将門が兜と鎧を納めた場所とも言われています。
【住所】東京都中央区日本橋兜町1-1
